それは、ある若者たちの日常から始まった
1970年代アメリカ。若者に絶大な影響力を誇ったヒッピー&フラワームーブメント全盛期。ムーブメントの中心とも言われたサンフランシスコの20kmほど北方に位置するタマルパイスという山では、当時「ある遊び」が流行していた。
大昔の実用自転車に太いタイヤを履かせて改造した「KLUNKER-クランカー」と呼ばれる自転車、これを山頂まで持って上がったかと思うと、自転車に乗って曲がりくねった未舗装の林道を、ふもとまで一気に駆け下りて遊ぶというもの。
自転車でオフロードを走る_
彼らが持つラディカルな思想から始まったこの遊びは、次第に周囲のロードレーサーたちをも虜にし、やがてその速さを競う「REPACK-リパック」という本格的な競技に成長する。
しかしながら、元来の用途とは違った目的で使用する彼らの自転車は、数回の使用ですぐに故障してしまったため、やがてより頑丈で壊れない自転車を求めるようになる。
そしてこのREPACKに夢中になった彼らの中に一人、機械加工の技術と設備をもつ青年がいた。彼も元々ロードレーサーでもあり、競技用自転車のフレームの製作も経験していた。
彼の名はJoe Breeze。
仲間からの強い依頼もあって、Joeは山を下るための頑丈な自転車を専用設計で製作。
彼はのちに「マウンテンバイク」と呼ばれるオフロード専用自転車の、世界初のビルダーとなったのだ。そして自らもREPACKに没頭していたJoeは、この自転車を完成させたその年のレースに出場し、見事優勝。
やがて彼への自転車製作の依頼は止むことなく、1年で10台を作るのがやっとだった貴重な自転車は、製作者である本人の名前をとって仲間から「BREEZER」と呼ばれるようになった。
あれから40年の時代を経て、MTBのレジェンドは新たなステージへ